西村健 氏のエッセイ

 東京に住んで30年になるが未だこの地には馴染めない。盆と正月には必ず故郷(ふるさと)・大牟田に帰省する。九州に帰るとホッとするのだ。
 帰省すればまず毎回、熊本にまで足を延ばす。これまた、何とも落ち着くのである。 大牟田市は一応、福岡県に属するが同じ三池炭鉱を擁した荒尾市は隣町で、文化圏として完全に一体だった。炭鉱町には熊本から流れて来た人も多数いた。 だから言葉も近い。そんなこともあって熊本には殊更、親近感を覚えるのかも知れない。
 大牟田から熊本に向かう時、楽しみの一つが沿線風景である。鹿児島本線の鈍行でトコトコ向かう。たいていは繁華街に行くのにも便利な、上熊本駅で路面電車に乗り換える。
 僅か45分間の小さな列車旅。何度も通っているからもう、途中駅を順番に諳んじられるくらいになった。その、各駅の佇まいがまた、いい。
 長洲駅の巨大な金魚のオブジェや、玉名駅の「玉名温泉」と大書きされた看板も捨て難いが、それより小さな無人駅の各々の個性が何とも味わい深いのだ。 例えば田原坂駅は崖の途中にへばりつくように建てられていて、独特の趣きがあるが、こんなところに苦労して造るほど利用客はあるのだろうか、なんて要らぬ心配までしてしまう。 こんなことをつらつら思いつつ窓外に目を遣っていると、小さな旅はあっという間に終わる。
 ただ最近、残念なことがあった。大野下駅が新駅舎に生まれ変わった後、沿線に残る貴重な木造駅舎だった肥後伊倉駅が2012年、建て替えられてしまったのだ。 それまで駅を通過するたび古い駅舎に目を休め、木造建築の懐かしい佇まい、昭和初期の建造物の重厚さなどを楽しんでいたのに。 通るごとにまだ残っている、大丈夫だなと確認し、ここだけはずっとこのままでいて欲しいと願っていた身からすればどうにも、寂しくてならない。 毎日乗降する地元客には新しい駅舎の方が利便性も高いのだろうが、無責任なよそ者に言わせればどこにでもありそうな新駅舎の小綺麗さが、何とも無味乾燥に感じられてしまう。 地元の女性が駅前の花壇の世話をしておられると聞いたが、風に揺れる小さな花の可憐さにもきっと、昔ながらの駅舎の方が似合っていた筈だろう。
 かくて今回の話題の区間からは外れるが、昔ながらの風情を残す木造駅舎は今や、付近では我が大牟田市内の銀水駅だけになってしまった。 この銀水駅、古い写真と見比べても駅名板からその下の蛍光灯まで、何一つ変わってはいない。
 そう言えば“上駅”だってかつて、夏目漱石や小泉八雲が降り立った由緒ある「池田駅」だった。それが新幹線を通すため、古い駅舎も解体され未だ無機質な工事中。 全てが次々と更新されて行く時代、時が止まったかのような風景を大切に思うのは所詮、ひねくれ者の故なのだろうか。